宝塚市国際観光協会 ビューティフル!宝塚

夢のまち アートエンジョイプラン

手塚治虫ゆかりの地めぐり
夢のまち「宝塚」と田園都市「宝塚」をめぐる

宝塚駅-手塚治虫記念館-瓢箪池-
蛇神社-猫神社-宝塚駅 [約4.9km]

漫画の神様と呼ばれ、日本のTVアニメの礎を築いた手塚治虫。
氏が幼少期を過ごした宝塚に今も残る、作品創造の原点ともなったメモリアルスポットを巡ってみましょう。
ひとつは夢のまち・未来のまちとしての「宝塚」。当時一大レジャーランドであった宝塚中心部のまちの面影を辿ります。
続いて昆虫採集に駆け回った御殿山の池や神社のある田園都市としての「宝塚」。命の大切さを学んだ森を訪ねます。
※文中では手塚治虫氏を手塚と呼ばせていただきます。ご了承ください。

コースは住宅地を通る場合があります。私的な場所では静かに通過するよう、ウォーキング・マナーへのご配慮をお願いします。

コースと時間

宝塚駅
花のみち
宝塚大劇場(宝塚歌劇)
宝塚ホテル
手塚治虫記念館
瓢箪池(下ノ池)
蛇神社(お稲荷さん)
猫神社(千吉稲荷)
宝塚駅
高低差図

コースマップ

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コース中の見どころ

宝塚駅

JR宝塚駅。

JR宝塚駅。

戦後直後のこと、手塚は宝塚駅付近で進駐していた米兵のグループに話しかけられたものの英語が通じず、いきなり殴られた経験があるそうです。この記憶は後に描くマンガに大きな影響を与えたと述べており、意思の疎通やコミュニケーションをテーマにしたさまざまな作品を描くことになります。
例えばはじめてアトムが登場する『アトム大使』にはそうした面が色濃く表れ、地球人と宇宙人、さらに父親でもあった天馬博士との間で苦悩するアトムの姿が描かれています。

夢のまち「宝塚」を象徴する花のみち

花のみちの入り口にはオールドファッションな灯籠

花のみちの入り口にはオールドファッションな灯籠。

一方で未来的でアーティスティックなセルカ前、花舞台の風景

一方で未来的でアーティスティックなセルカ前、花舞台の風景。

手塚は1928年(昭和3年)豊中市で生まれました。1933年(昭和8年)5歳の時に宝塚に移ってきてその後の少年時代を宝塚で過ごすことになります。当時の宝塚には遊園地である「ルナパーク」と植物園、動物園(いずれも2003年に閉園となった宝塚ファミリーランドの前身)などのレジャー施設がありました。また宝塚歌劇では「パリゼット」が上演され、"すみれの花"の歌が巷間に広まっていきます。さらに武庫川の左岸と右岸を結ぶ宝塚大橋が完成するなど、花のみちを中心として武庫川の両岸一帯は一大レジャーランドとして賑わい、宝塚は文字通り人々にとっての「夢のまち」でした。
少年であった手塚の眼には西洋を模した建物や電車、少女が演じる歌劇は、まるで幻の「未来のまち」のように映っていたのかも知れません。

宝塚大劇場(宝塚歌劇)

宝塚大劇場入り口

宝塚大劇場入り口。

パンジーの花と大劇場。

パンジーの花と大劇場。

レビュー像。

レビュー像。

手塚が住んでいた家の隣には当時の大スター天津(あまつ)乙女、雲野かよ子姉妹が住んでいたほか、御殿山は「歌劇長屋」と呼ばれるほど劇団員が多く住んでいました。そうした環境から宝塚歌劇にも親しんでいて、漫画家としてデビューした後もたびたび観劇をしています。
少女向けストーリーマンガのはじまりとされている『リボンの騎士』が女性が男役を演じる宝塚歌劇をヒントに描かれたのは広く知られています。後に池田理代子氏の『ベルサイユのばら』が上演されて宝塚歌劇を代表する作品となりました。手塚作品では、彼の死後、手塚治虫記念館開館記念のメモリアル公演として、『ブラック・ジャック 危険な賭け』『火の鳥』がはじめて上演されています。

結婚式は宝塚ホテルで

大正モダニズムが薫る宝塚ホテル旧館。

大正モダニズムが薫る宝塚ホテル旧館。

宝塚大劇場オフィシャルホテルで、各種の資料が展示されています。

宝塚大劇場オフィシャルホテルで、各種の資料が展示されています。

宝塚大劇場で使われていた緞帳の一部。

宝塚大劇場で使われていた緞帳の一部。

手塚は1959年(昭和34年)に幼馴染と結婚式を挙げます。その結婚披露宴が行われたのが宝塚ホテルです。宝塚ホテルは1926年(大正15年)創業の大正モダニズムを象徴する外観が特徴の古いホテル。当時は宝塚倶楽部という社交団体もここにあり、紳士淑女が集う格式あるホテルでした。
同じ年の週刊少年サンデーに連載した『スリル博士』には宝塚ホテルが登場しています。このホテルで式をあげるのが決まっていたので舞台として登場させたのかもしれませんね。

手塚治虫記念館

手塚治虫記念館

手塚治虫記念館。

正面にある火の鳥

正面にある火の鳥。

手塚の死後5年後の1994年(平成6年)に開館したメモリアルミュージアムです。玄関正面にあるのは『火の鳥』のモニュメント。これは第二次大戦の体験から強く平和を願った手塚の意思を継承したもので、何度も再生する火の鳥に宝塚市の平和への願いを託したモニュメントとして設置されました。なお、火の鳥の内部には2024年に開封される予定のタイムカプセルが埋め込まれています。
記念館では、映像やライブラリーのほか、アニメ制作体験などで手塚ワールドを堪能できます。

手塚治虫記念館前の手型

正門前の手型(鉄腕アトム)

正門前の手型(鉄腕アトム)。

手塚治虫記念館の火の鳥の周囲の地面には、ハリウッドのチャイニーズ・シアターよろしく手塚作品に登場するキャラクターの手型や足型があります。ウランちゃんは小さい!ガロンは大きい!お茶の水博士は鼻形も!まるでサファイアやアトム、ヒゲオヤジが俳優のような扱いです。これは手塚マンガの特徴のひとつであるスター・システムに由来したもの。手塚はそれぞれのキャラクターを役者と見立てて、さまざまな作品で異なる演技をさせていて、まるで宝塚歌劇の"専科"のスターのように配役を楽しんでいたのかもしれません。
たとえば『鉄腕アトム』に登場するヒゲオヤジ先生は、1943年(昭和18年)に『オヤヂ探偵』でデビューした後、『ジャングル大帝』でもレオと最後まで道を共にする重要な役を演じています。

瓢箪池

瓢箪池(下ノ池)

瓢箪池(下ノ池)。

宝塚中心部から北に広がる御殿山は手塚の自然への造詣を深めた田園都市「宝塚」。その御殿山への急な坂を登りきると突き当りにひょっこりと現れるのが下ノ池で、真ん中がくびれた形をしていることから手塚は瓢箪池と呼んでいました。意外に広い水面越しに中山寺を擁する中山連山が映り込みます。当時は池の向こう岸の家も無く、自然が広がる風景だったそうです。手塚は昼はこの池の奥のクヌギ林でよく遊び、夜にはこの池のなにか得体の知れないものの夢を見ていたようです。
『鉄腕アトム』の作品「ミドロが沼」では、高度な知性を備え、人間を奴隷にした沼のトカゲとアトムが対峙する物語が描かれています。最後にトカゲが「いずれ人間も滅びるだろう」と予言して終わる考えさせられる内容。瓢箪池でそんな人間の未来に想像の羽を広げていたのでしょうか。
※上ノ池と下ノ池を合わせた形が瓢箪のようだからという説もあります。

蛇神社

大きな銀杏の木が目印

大きな銀杏の木が目印。

蛇神社(お稲荷さん)

蛇神社(お稲荷さん)。

瓢箪池と御殿山公園の間を登り、大きな銀杏の木が見えるとその奥が蛇神社。お金の神様として蛇神が祀られています。手塚はこの蛇神社の北側の原っぱで昆虫採集をして、珍しい蝶などを捕まえていました。現在の祠は阪神大震災後に再建されたものですが、雰囲気は以前と変わらないそうです。
昔はここからまちを見下ろすことができ、手塚も「ここからの眺めが一番好きだった」と語っていますが、現在はさすがに見晴らしはありません。

命の大切さを学んだ森「猫神社」

田んぼの向こうに広がる猫神社(千吉稲荷)の森

田んぼの向こうに広がる猫神社(千吉稲荷)の森。

猫神社(千吉稲荷)

猫神社(千吉稲荷)。

小学5年生の時、昆虫のオサムシの名前をヒントに本名の"治"に"虫"を付けてペンネームとした手塚。その逸話からも分かるように彼の昆虫への興味はかなりのものでした。当時あった「宝塚昆虫館」にも足しげく通っていたほどの虫少年。そんな彼のいつものフィールドが、今も残る千吉稲荷神社です。作品中では「猫神社」となっている千吉稲荷。昆虫の短い命から、命の大切さを学んだ森です。
千吉稲荷は御殿山住宅の高台の崖に張り付くようにあります。そこだけぽっかりと畑が広がり、こんもりと茂る森が残っています。開発が進み、隙間なく住宅が並ぶ現在でも、奇跡のように森が残り、当時と同じ姿を残しています。

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